【消防小説】第1話 夢の先にあるもの

第1話 夢の先にあるもの

 「隊長、やっぱり俺、もう一度あの服を着たいです。」

そう言った俺の方を見ることもなく、ただただ遠くに見える街並みをずっと眺めていた。励ましもせず、慰めもせず、ただただ遠くを。なんと言っていいかわからずにいるようにも見えるし、あえて無言を貫いているようにも見えた。父親にこんなことを言うのは、どこか気が引けたけど、一番伝えたかった人だった。

 仕事にいく時はいつも決まって朝食をとらない。それは何も、ダイエットのためではなく、なんとなく朝食をとると集中力が長続きしないような気がして。

 消防署までは車で15分。車に乗り込むと

「さあ、いくぜ。」

と車に話しかける。そんなに大切に乗っているわけでもないのに。

 何が不快なわけでもない。でも以前は車内で紙タバコを吸っていたから、その匂いが微かに今でも染み付いている。女性を乗せる機会もなくなったから、芳香剤なんて置く気にもなれない。でも時々、ものすごくこだわりを発揮するときがある。そんな時は決まって「あまり匂いがキツくないもの」を選ぼうと躍起になったりする。

 少し車を走らせると、公園の隣を通る。その公園では毎日必ずおじいさんがラジオ体操らしきものをやっているのが見える。そう。つまり今日は天気がいい。

 消防署に着く前に必ず最寄りのコンビニに寄る。そのコンビニには、必ず出勤の15分前に到着している。といっても店内には入らない。車のバックミラーに知った車が何台か過ぎるのを見送った。

「さて、行きますか。」

これでも一応、上司として気を遣っている。後輩を先に行かせないと、自分が先に出勤する訳にはいかない。これぞ忖度である。時代の象徴だ。

 消防署のロッカーには生活必需品が押し込められている。3着の活動服と普段着ることもない制服。棚上に制帽が埃を被って置いてある。今日着る活動服は決まっている。この前の仕事の時に寝巻きとして着ていたもの。夜間に出動がなければ、それを次の仕事の時に着る。もし出動していたなら、3番手のお出ましだったが今日のところは控えてもらって。

 活動服には付属品がある。左肩にワッペンをつける。これは何枚か持っているけど、できるだけ綺麗なものをつける。ときに子供を勇気づけるときに使ったりする。ボールペンは決まって同じもの。業務の都合上、2色ボールペンとシャープペンシルの複合が必要なのである。このスタイルはこの10年崩していない。名札と新しめの階級章を両胸に貼り付けたら、最後にチェーンの着いた警笛を右の肩章掛けにぶら下げ、それを右胸のポケットにしまう。ベルトを通し忘れのないように着けたら完成。10年経ったいまでも姿見で全身を確認する。

 「おはようございます。」

「うーす。」

所々から返事が帰ってくる。事務室に入って最初に話しかけに行くのは、自分と同等階級の職員で彼は前日に勤務に着いていた。いわゆる”反対番”というやつだ。申し送りを聞いて、最後に、

「では。」

といって消防車の鍵を受け取り、それをベルトループに掛ける。

 そうして喫煙所に向かうころ、自隊の隊長が出勤してくるので、

「おはようございます。」

と挨拶を交わし、喫煙所のベンチの左端に座る。ここも少し周りに気を遣っている。そのうち他の職員がやってきてこのベンチに座るだろうから、灰皿が近い右側は開けておいてある。

 電子タバコを起動して、時間を待つ。半年前に職場内で内部告発があって、業務中の喫煙が厳しく制限されることになった。それまでは、消防署といえば喫煙は自由だったし、むしろそれが消防署の象徴といっても過言ではなかっただろう。喫煙所での情報交換や作戦会議は定番だったし、それが重要なコミュニケーションツールの一つだと思っていた。誰が何にためにリークしたのかはいまだにわからないままだし、それがその本人を幸せにしているのかは不明だったが、僕の中では、何が正しくて何が間違っているのか強く疑問に思わせる事件だった。

 そんなこんなで1日の仕事中に吸えるタバコには制限がかかっている。就業前と休憩時間だけ。つまり勤務時間外。おかげさまで一本を味わうことの大切さを身にしみて感じさせてもらっている。以前は他の職員との雑談やスマートフォンでのネットサーフィンをしながら、だらだらと喫煙していたが、今では一本一本味わって吸っている。時には他に職員がいなければ、眼を閉じてしまう時さえある。

 どこの職場でもそうかもしれないが、この時代遅れの職場ではことさら業務開始時間と出勤時間には違いがある。基本的に仕事が始まるのは8時30分から。この時間にいわゆる”交代”というものが行われる。ここ出張所では全体の申し送りがその代わりを果たすのだが、市役所や消防本部と併設されている本署では”大交代”というものがある。上番(以前勤務に着いていたもの)と下番(以後勤務に着くもの)がずらっと並んで厳かな会が開かれる。必要性はともかく、外から見ればまさに圧巻である。僕も以前はそこに並んでいた。決まって前列の最右翼に。

 ここ出張所ではそんなものはない。行われるのは必要以上の申し送りだけ。上(つまり本署のこと)からこういう風に指示があった。本部からこういう指摘を受けた。ほとんどが僕にはどうでもいいように聞こえる。「何をそんなにシビアになることがあるのだろうか」そう思うこともしばしばあったが、そんな様子を1ミリも表情に出すほで子供でもなくなったのは、この10年という時間のおかげである。

 ここには常時7人が勤めている。いや、それが理想である。本来、”なんだかの指針”というもので「消防隊は4人以上・・・」などというものが決められているのだが、この消防本部にはそんなものを遵守する余裕はない。消防隊3人、救急隊3人というのが現実である。本来の配置は7人いるのだが、うち一人は休暇や他署への助勤で欠けることがある。だから消防隊が4人の時はものすごく力が増した気になること。それだけでモチベーションが上がるものだが、次の勤務にはそんなものは打ち砕かれたりする。それでもこなしていけてしまうというのがなおさら改善を呼ばない原因になっている。

 今日も6人。消防隊には鈴木という隊長が着く。消防隊長兼出張所長ということになる。そして運転手である機関員を勤める俺がいて、後輩隊員の江尻が後部座席に乗る。本来であれば加えて石田も乗るはずなのだが、例に倣って石田は他署への助勤で不在である。

 救急隊にも3人、渡部隊長は恰幅がよく外から見ればとても穏やかに優しそうに見えるまさに救急隊長にもってこいの風格だ。救急車の運転手は武林が勤めるが、彼は俺と同期でかつてはともに特別救助隊員を目指した仲である。もっとも選考で選ばれたのは俺だけだったが。もう一人は沖縄出身で救急救命士の仲宗根が隊員として乗っている。沖縄の文化が好きな俺にとっては、一緒に居てくれるだけで楽しい気持ちにさせてくれる男だ。

 反対番との朝の申し送りが終わるや、みんなぞろぞろと車庫に向かっていく。雑談を交えながら車両点検の準備をするわけだけど、この時決まって点検の前に一服していが、今ではそれもできない。「できなくなってしまったな」というフラストレーションを半年経った今でも感じながら、仕方なしに帽子を被り、点検用の革手袋をはめる。僕が運転席に乗り込むと、すでに隊員の江尻が車両の前で待機している。消防車のエンジンをかけ、車両全体が車庫から出切るまで前進させながら、同時に前照灯から順に決まったライトを点灯させていく。

「ライトよし、切り替えよし、右よし、左よし、赤色灯よし、標識灯よし。」

そう合図し、江尻が手際良く車両後方に回り込もうとすると、そこにそろっと隊長の鈴木が顔を出し手をあげている。俺と江尻に対して、「俺が見るからいいよ」ということらしい。後方のライトを順に点灯させていく俺に、特に声には出さずに手をあげていく。全部確認できたらしい。

「あざーす。」

と、江尻と揃えてお礼を言って、エンジンをかけたまま車を停車させる。

 それから俺は消防車のポンプがきちんと作動するかの点検を、江尻は積載器具が定量あるか、またきちんと作動するかの点検をする。隊長の鈴木は特に何もしない。花に水をやり、車庫を掃除する。それが終わると消防車をウェス雑巾で拭き上げる。隊長なんてそれでいい。何もしないくらいがちょうどいい。各自任務を任せられている証だ。おそらく隊長自身にはそんな気はないが、俺たち二人はそんなことにも使命感をもって取り組んでいる。

 これが始業点検のルーティンワークだ。誰かが抜ければその代わりをその誰かがやるだけで、たいして大きな代わり映えはない。救急隊も隣で同じことをしている。こうして朝の業務が滑らかに始まっていく。

 「こないだの火災検証会、どうでした?」

と、江尻がホースの数を数えながら質問してきた。

「なんてことなかったよ。特にうちの隊は何もしてないしな。でも、あの隊の活動はどうだったとか、この隊はこうするべきだったんじゃないかとか、相変わらず副署長が騒いでたよ。もっともうちが被害に合わなかったのも温厚な隊長のおかげかもな。」

一昨日の仕事明けに、隊長の鈴木と機関員である俺は署内で開かれる火災検証会に参加していた。これは出動隊の関係者を集めて事後に行う検証会のことで、いつも机上の空論が展開される。まさに吊し上げの場になっていた。

「その火災、副署長は現場を見てもいないのに、なんでいつも辛口なんですかね。」

「人は辛口コメントを言ってると周りからは強く見えるものだからな。偉くなるとそういうものにも頼りたくなるんだよ。その分、うちは出世欲のない隊長のおかげで守られてる。ありがたいことだ。」

火災検証会にはできるだけ出席したくない。俺もかつては仕事に燃えていたころ、そういった会合に積極的に参加して意見を交わしたいと思っていた。しかし、今となっては本質が見え、「より良い活動のための検証会」ではなく「権威を示すための検証会」であることに気づいてからは、参加意欲もなくなり、参加したとしても自分の意見を披露しようという気もなくなった。

 点検がひと通り終わると、事務室での事務処理に取り掛かる。ここでも以前は一服を挟んでいたが、例に倣ってである。点検表やら出勤簿やらいくつかの事務処理をこなすのに、あまり多くの時間はかからない。誰がどの処理をするかは言わずもがなである。決まった業務をこなし、なんとなく先に終えた者はまだ終わってない者を手伝い、全体的に同時に作業終了を迎える。

 ここでナンバー2を勤める救急隊長がさっと見回して、全員の作業終了を確認すると、

「終わりました。」

出張所長席に座る鈴木隊長に声をかける。

「あいー。」

と、言いながら老眼鏡を少し下げて鼻にかけながら、読んでいる新聞を閉じてこちらを見回す。

「体調悪い者は?」

「ダイジョブですー。」

と、口々に答える。

「あい、じゃあ今日は特に予定もありませんのでー、、、ムラ、どうする?」

「救急隊はどうしますか?」

渡部救急隊長を向いて聞いた。

「救急も特に何もないから、何かあれば付き合うよ。」

「了解です。では、午前中は水利点検、午後はこないだお話しした積載はしごの訓練をやりたいと思いますが、どうでしょうか?」

「わかった。ではそのとおり頼む。」

言い終える時には新聞に手を伸ばしていた。

「じゃあ渡部さん、救急が出てなければお手伝いお願いします。」

「わかった。タケとナカにもやらせてやってくれ。」

「わかりました。」

この署は比較的消防隊と救急隊が協力的に作用している。なかには対立してしまったり、まったく不干渉になってしまったりする署もあるなかでとても住み良い環境であると言える。これは消防署で仕事するに当たって非常に重要なことである。消防署で働くということは、どこでどんな仕事をするかよりも、「誰と」の方がことさら重要だ。

 朝のブリーフィングが終わると各々散り散りになっていく。自分のタスクを確認する者。前日の出動を見返す者。今日やる訓練の資料を見る者。俺は今日の水利点検のコースを確認する。それが終わると時間を決める。

「9時半からでいいですか?」

「今日のコースは何分かかる?」

隊長が新聞を読んだまま聞き返す。

「1時間弱ですかね。」

「じゃあ10時でいいだろう。」

「わかりました。」

鈴木隊長はわりとのんびり屋さんである。この男の特徴は見るからに優しそうな風体で、怒りとは無縁の男であるが、かといってひょうきんというわけでもなく、口数は少ない。多くを語らない。頭髪は白髪が混じり、前頭部は上がっている。つまり禿げている。しかし、いわゆる禿げとはイメージが異なり、西洋人のようなかっこよさを纏っている。もうおじいさんである。かつては特別救助隊の一員として前線で活躍し、救助隊長を歴任し、エリート街道をひた走っていた。そんな最中、心臓に大病を煩い会社内での良席を目指すことができなくなった。もとより出世欲があったようには見えなかったが、かつてのエリートレスキュアーもこんな街の外れにある出張所の所長として、来年には定年を迎える予定だ。でも俺はこの男の生き方が心底好きだった。俺だけではない。きっとここにいる誰もがもれなくそうではないだろうか。俺にはこんな生き方はできないと思いながらも、密かに憧れていた。ただそれを言葉にしたことはない。

著者

著者:Shikishima
Twitter→𝙎𝙝𝙞𝙠𝙞𝙨𝙝𝙞𝙢𝙖/小説家にいつかなる消防士
小説→敷島出張所消防隊カクヨムで続きを連載中!

【プロフィール】
・著者:Shikishima
・年齢:29歳
・経歴:消防歴10年
 消防隊→特別救助隊→はしご隊
・消防署が笑いと涙の物語で溢れていることを伝えたい。

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