【消防小説】第6話 救助水難指令

第6話 救助水難指令

 「ダメだ、あちー。我慢できない。6月だってのに、なんでこんなに暑いんだ。」

と言いながらエアコンのボタンを操作する渡部救急隊長に対して、みんな遠慮はしない。

「ミートテック着てるからですよー。エアコンはまだ早いっす。」

と言って武林がエアコンの電源を消そうとする。

「おいおい、何しようとしてくれてるんだ!階級で物言ってくれるかなー。」

と、戯けて見せる。本当なら会話の中で階級の話など持ち出されたら鬱陶しく感じるものだが、この人にはそれをコミカルに見せる才能がある。

「でたー。こんな時ばっか威張ってー。隊長、なんか言ってくださいー。」

武林も負けじと戯けながら、鈴木隊長に助け船を求める。

「ワタベ、我慢せー。ここは民主主義だ。」

隊長自身も上がった額に少しの輝きを見せながらも船を出した。そう、確かに暑い。しかし消防士には何事も我慢する性質があって、こんな時期から冷房に頼っていては夏を乗り越えられないと思っていた。

 今日は確かに暑い。6月にしては猛暑のような暑さだ。昼食のペペロンチーノの匂いとみんなのわずかな汗臭さで事務室の中はムンムンとした空気が流れていた。

 「そういえば今度の警防指導会、内容は決まったんですかね?」

渡部隊長が鈴木隊長に聞いた。

「どうだろうな?今年はオリンピックがあるから、特殊災害かなんかじゃないのか?もしくは最近大げさな火災想定をやってないからそれもあり得るな。」

警防指導会とは署内での各消防隊に対して特別救助隊が技術確認を行う合同訓練会である。つまり、消防隊の実技試験のようなものである。決して表彰やペナルティがあるわけではないが、評判や現場での優先権に関わってくる。

 うちの隊には自分を含めた二名の元救助隊員がいるので、他の隊に比べれば圧倒的に有利である。ましてや一人は元救助隊長であり、本来であれば評価されることすらおこがましい。もちろんそういう部分でも、うちは有利である。苦言を言われることはまずない。俺がいなければ。

 先日の出動でもそうだったのだが、どうしても俺は今の救助隊長と馬が合わなかった。実は以前に一緒に組んでいたことがある。どうやら根っから俺のことが嫌いらしい。だからなにかと俺の動きに突っかかってくる。俺からすれば、だいぶ先輩になるので好きも嫌いもないのだが、ここまで嫌われるとこちらも構えてしまう。

 そんなことを考えていると、この訓練に参加することも、この会話すら億劫になってしまう。

「まあ、うちは隊長が隊長だし、ムラがいるから心配ないでしょ。エジやイシもこの分だと足を引っ張ったりすることもなさそうだしな。」

今日は珍しくも7人勤務で石田もこの場にいた。そう言われて二人とも嬉しそうな顔をしている。まあ確かにそれはそうなのだが、問題はそこではない。消防隊の活動など突っかかろうと思えばいくらでも突っかかれる。

 渡部隊長が言ったようなことを言われれば言われるほど億劫な気持ちが増していく。とはいうものの、楽しみな気持ちもある。

 鈴木隊長がいる限り、部隊全体が言われることはまずない。そんなことより、そういう大規模な訓練で江尻や石田がどこまで力を発揮できるか。それは素直に楽しみであった。

 江尻と石田は去年から同じ部隊に配属されている。だから二人とも教育に関してはほぼ俺が教えたようなものだった。なんせ江尻は同じ隊になりたての頃、衝撃的なくらいに知識も技術も欠けていた。むしろ悪い意味で有名だった。石田もそのころはまだ入職2年目とほとんど経験値がなかった。ただ石田に関していえば下馬評がよかった。つまり優秀だった。

 だから二人とも同じ部隊で働くのはこれで2年目だ。しかも俺は、鈴木隊長とも救助隊の頃に一緒だったことがある。だからよく知っているのだ。先の4月の異動で、救急隊と消防隊長が変わった形だった。

 後進の育成に関しては本当に力を尽くしてきた。訓練のやり方を工夫し、彼らの考え方を修正してきた。また、何が大切かをきちんと見つめ直し、いかに効率よく技術を習得させるかを指導してきた。

 技術とは操作技術だけではなく、現場で動ける能力に関して思慮し尽くした。重要なのは資機材の操作力や体力だけではなく、現場での洞察力である。声の出し方、音量や言葉の選択、視点の位置、どこを見るべきか、間接視野での他隊員の活動把握、立ち位置、空気の流れ、時間の読み方、それら普通の人が教えないだろうことを教えてきた。彼らがどこまで発揮できるか楽しみなのは言うまでもない。

「火災想定がいいですね。」

「そうだなー。散々やってきたからね。」

江尻と石田は少しワクワクしている様子である。

 「ポー、ポー、ポー、、、救助指令、水難、入電中。」

救助指令がかかる。例に倣ってみんなが指令システムコンピューターの前に集合する。

「ピー、ピー、ピー、ピー、ピー、、、救助指令、水難、現場、木浜市牛田港東1丁目3番、牛田漁協組合、第一出動、木浜指揮1、木浜救助1、木浜救助2、木浜水槽1、敷島水槽1、敷島救急1。」

俺は一番に事務室を出た。場所はコンピューターを見なくてもわかる。内容だけ気になったが、細かいことは他の隊員に任せた。水難となれば確実に自分の活動量が増える。少しでも余裕を持ちたくて、一刻も早く装備を整えたい。資機材を積み込みながら内容を聞く。誰かが指令内容を言ってくれていたが、誰が言っているのかなどどうでもいい。俺は防火衣などの装備を手早く消防車に積み込んで、消防車に積載してある救命胴衣を着用した。

「エジ、イシ、救命胴衣な。」

装備に関する指示を出す。運転席に乗り込んでエンジンをかけ、みんなが準備できるのを待つ。救急隊はすでに準備ができており、運転席の武林が窓越しにこちらを向いて「先に行け」と譲る手ぶりをした。それに親指を立てて返し、全員の乗車とともにクラッチを踏み込んだ。クラッチの緩め加減で自分が少し焦っているのに気がついて、少し深く呼吸する。

 「指令センターから木浜市牛田港東1丁目3番、牛田漁協組合付近に出動中の各隊へ一方送信、救助水難、252は2名、本人通報、釣りをしていて満潮により中洲のような場所に取り残された模様、通報時の水位は胸の高さ、以上」

「敷島水槽1、了解。」

「敷島救急1、了解。」

自分の頭の中で、ものすごく膨大な情報が錯綜するのがわかった。状況のイメージ、指令内容から読み取れる裏の情報、現場海域の記憶、干満の予想。ありとあらゆる情報を引きずり出す。自分の周りに流れている時間がゆっくりに感じる。

(ゾーンに入ったな。)

走馬灯の状態と同じだ。

「ムラ、、、、、ムラ!」

ハッとした。

「ゆっくり考えろ。」

こういう時、この人は「焦るな」とは言わない。そう言われると人は余計に焦る。

「どう読む?」

「おそらく、中洲というのは漁港の東側にある遠浅の部分のことでしょう。あそこであれば岸壁から遠くても100mほどです。それから満ちてきているということは現着して接触するまでに足が届かなくなる可能性があります。今の状況で通報してくるということは2名のうちどちらか一方は泳げない。泳げるなら通報しませんからね。救助隊と自分達の差は約15分。15分で潮は早ければ20cmは上がります。待ってられません。」

「アプローチは?」

「泳ぎます、100mならかかって2分、準備に3分、5分で確保まではできます。」

「補助は?」

そう聞かれてバックミラーを見た。トラックのバックミラーは車内しか映らない。かすかに右端に映る石田と目があったが、すぐさま目を切り、

「エジを連れて行きます。」

そう言った。誰にも口を挟ませないように間髪入れずに指示を出す。

「イシ、着いたらロープをありったけ準備してくれ。それから救命浮環と要救助者用の救命胴衣を頼む、エジはロープの端で二重もやいの襷掛けをしてくれ。」

「よし、じゃあアプローチはムラとエジ、地上支援はイシと救急隊でやる。限界距離は100m、それ以上離れていると判断したらプランを変更する。海上組はガイドロープを持っていき、接触したら要救助者に浮環を渡して落ち着かせた後に救命胴衣を着せてくれ、ムラはわかっていると思うが、不用意に近付くな、特にすでに浮いている状態であればなおさらだぞ。救命胴衣を着せたら合図をくれ、ガイドロープを引く。イシ、ゆっくり引くんだぞ。ムラとエジの泳ぎのスピードに合わせろ。いいか?救出まで一気に行くぞ!」

(隊長、強気だな。)

そう思った。口数が多い。少し焦っている。そう思うと自分が少し冷静になれた気がした。

 海岸沿いを見落とすことがないようにゆっくりと走行する。しばらく走ると人だかりが見えてきた。

「あそこですね。」

人だかりをかき分けてできる限り岸壁に近づける。本来、後に来る救助隊の着車位置を考えると、ここに自分達の消防車を持ってくるのは好ましくない。空けておくべきなのはわかっていた。

 消防車のサイレンを止め、駐車させると俺の合図とともに一斉に動き始める。みんなで要救助者の場所を確認するなんてことはしない。確認に行くのは俺と隊長だけで、他の二人は資機材の準備に取り掛かる。ここまでスムーズに動ける消防隊は他にないだろう。

 海の中に小さく二つの人影が見えた。

「100はないですね。まだ足も着いてそうです。」

「そうだな。じゃあ予定通りで。」

隊長の声色は落ち着きを取り戻していた。きっと自分で気づいたのだろう。いつもの穏やかな雰囲気に戻っていた。

 俺と江尻は自分の身体にロープを巻き付ける。隊長は救急隊に救出プランを説明しているようだ。イシは黙々と言われたことをこなしていた。彼はやはり優秀だ。このなかなか遭遇し得ないこの状況に1ミリもたじろがず立ち向かっている。俺は少し罪悪感を感じた。

 全ての準備が整い、もう一度全員でプランの確認をする。いつも通り隊長の「かかれ」の合図とともに俺とエジはゆっくりと入水していく。編み上げ靴に水が入ってくるのがわかって、ズボン、パンツ、上着と順に濡れていくの感じる。そうして足が届かなくなるほど進行すると歩行から泳ぎに変わる。着衣泳でしかも編み上げ靴という条件下では決してプールで泳ぐ泳ぎ方というわけにはいかない。それに加えて、ヘッドアップで泳がなければいけない。プールではゴーグルをつけて、しかも床に線が引いてあるから、真っ直ぐ泳げる。海にそんなものはない。要救助者を見失わないように目を離さないように泳ぐ。これがまた難しい。俺も救助隊の頃に訓練でやっただけだ。ましてや江尻はそんな経験もないだろう。

 途中で一旦止まった。俺につながるガイドロープの途中に輪っかを一つ結んで、その輪っかを江尻の手首に巻き付けた。俺の泳ぎで引っ張るためだ。俺は要救助者からできるだけ目を離さないようにしつつも時折後方に目をやった。グイグイと江尻を引っ張る。江尻も負けじと懸命に泳ぎ続けるがもうすでにヘッドアップで泳ぐほど元気はなくなったいた。

「あとプール1本分だ!頑張れ。」

と声をかけ、そこで、

「消防隊です。もう少し頑張ってください。」

そう声をかけた。

ますますスピードを上げ、要救助者のもとにたどり着く。3mほど手前で止まって立ち泳ぎをしながら、要救助者の落ち着き様を確認した。

(これなら大丈夫そうだな。)

「大丈夫ですか?今行きますからね。まず浮き輪を渡すのでそれに掴まってください。いいですか?」

念入りに確認する。

「ありがとうございます。」

なんとも声にならない感じの返事を確認した。浮環を渡し、ここからはゆっくりと作業を進める。まず、岸壁に向かって両手で大きな丸を描く。これできっと向こうでは「要救助者確保」の無線が飛ばされているだろう。要救助者はどちらも30代前後の男女だった。

「どうしてこうなっちゃいました?」

「釣りをしていて遠浅のところを見つけたので少し海に入りながらやってました。夢中になっていたら、気づいたら周りを水に囲まれていて身動きが取れなくなってしまい、連れが泳げないものでどうしたものかとパニックになってしまって通報するのが遅くなってしまいました。」

「そうですか。あなたは泳げますか?」

「この距離はわかりませんが、多少なら泳げます。」

「わかりました。泳いでもらうことはないので大丈夫ですよ。安心してください。私たちに繋がれているロープの中間をお二人にくくりつけ、それを岸壁側で引っ張ります。よろしいですか?」

「お願いします。」

「じゃあエジ、エジは男性の方に付いて救命胴衣を着せてあげてくれ。」

「了解。」

「あなたの方には私が付きます。」

と言って、女性に救命胴衣を着せる。少しでも余裕のある方に江尻を付けたことにも意味がある。万が一ロープが切れたり、泳げない方の女性がパニックを起こした時に江尻では対応できないと判断した。

 ガイドロープが要救助者に繋がれ、全ての準備が整う。2本のガイドロープをピンと張り、張った状態から勢いよく5回強く引いた。合図の伝達である。声も届かず無線もないため、原始的な方法で「救出始め」の合図を送る。

 ゆっくりとロープが引かれ始めた。俺たちは特に泳ぐ必要もないが、要救助者に寄り添って少し泳ぎながら仲間の引くロープのテンションを味わった。

 段々と岸が近づいてきた。石田だけじゃなく武林や仲宗根もロープを引っ張ってくれていた。ゆっくりと丁寧に引いているのがここからでもうかがえる。

「もう少しですよ、安心してください。」

本署から向かっていた指揮隊と救助隊が到着するのが見えた。二台の車からぞろぞろと降車し、何人かがこちらを眺めている。指揮隊長と救助隊長は鈴木隊長と話している様子だ。「牽引の補助」とでも指示したのだろう。救助隊の何人かが石田の周りに集まっているのが確認でき、残りの者は俺達が入水したところに寄ってきた。

 「救助隊様のお出ましだ。」

と、江尻にいうと、

「出番なしですなー。」

と、のってきた。少し皮肉じみた言い方をしたが悪気はない。ただ、この活動自体がほぼ完遂しつつあることへの喜びだ。

 俺も江尻ももうほとんど泳ぐのをやめている。それはなにも牽引する人数が増えて安心したわけではなくて、仲間達との繋がりをこのロープのテンションで感じたかったからだ。

著者

著者:Shikishima
Twitter→𝙎𝙝𝙞𝙠𝙞𝙨𝙝𝙞𝙢𝙖/小説家にいつかなる消防士
小説→敷島出張所消防隊カクヨムで続きを連載中!

【プロフィール】
・著者:Shikishima
・年齢:29歳
・経歴:消防歴10年
 消防隊→特別救助隊→はしご隊
・消防署が笑いと涙の物語で溢れていることを伝えたい。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です