【消防小説】第8話 パワハラってなんだ

第8話 パワハラってなんだ

いつからか訓練を受けることより、計画を企画することの方が多くなった。そうなるとより深く見えることも多いが、訓練を受ける感覚というものが乏しくなったりする。

「ムラ、今日はなんか予定あったっけ?」

どこぞの署と内線電話をしている隊長が聞いてきた。

「いえ、特にはないですよ。」

と、言うとオーケーサインを指で作り合図しながら電話に戻った。ぶつぶつとなにか話していると思ったら、電話を切ってこう言った。

「今日は午後から清水出張所と合同訓練になった。はしご車の訓練をやるそうなのでよろしく。」

「え、本当ですか?」

思わず驚きが出てしまった。

「なんだ?嫌なのか?」

「いえいえ、そんなことはございません。めっそうもありませんよ。」

俺は分が悪くなって戯ける時、いつも丁寧語になってしまう。みんなはヒソヒソと笑っている。石田までもがニヤけている。

「今日は何発だろうな?」

渡部救急隊長が楽しそうに俺の肩を揉んで声をかけてきた。「何発?」とはつまり俺がビンタを食う回数である。清水出張所にも元救助隊長がいる。清水消防隊の隊長である霧島という男だ。名前からして物語っている。俺がもっとも苦手とする上司である。と、みんなは思っているが、実際は嫌いなわけでも苦手なわけでもない。ただ暴力が過ぎるのである。平成の時代が残していった極めて稀な遺産だ。

 桐島隊長の俺に対する暴力は有名なもので、それを知らない者はほとんどいないのではないだろうか。もう7年前になる。俺が救助隊員選考試験を突破し、晴れて救助隊に任命された時、初めて着いたのがこの男の下であった。

 当時はまだパワハラなんて言葉は浸透しておらず、その概念すらよく知られていなかった。まだ「体罰」という言葉の方が馴染み深かった頃の話だ。もちろん当時の消防署において、体罰なんてものは他の国の言葉というくらいにしか捉えられておらず、日常茶飯事だった。自分自身もそれが普通だと思っていたし、生涯の仕事をこれと選んだ時から、その覚悟だった

 霧島隊長は会うと、必ずなにかにつけてビンタをしてくる。それも目一杯。ちゃんと振りかぶって。ギャラリーが多いとその力と回数が増す。初めて見る者には衝撃的に見えるらしく、数多くの後輩達が目を丸くしている姿を見てきた。

 俺ももう10年選手である。そこそこ中堅になってきて、その人間があんな風に殴られている姿を見ると、恐ろしくなる気持ちもわかる。

 しかし、この男は一部の人間にしかやらない。俺を含めた何人かだ。みんな救助隊の頃に部下としてついていた人達だ。

 ギャラリーの前では俺もピエロを演じる。それは姿が見えるとそわそわし出すところから始める。そして仕方なく捕まり殴られる。この一連の劇を繰り広げる。

 それを大半の人は、俺が嫌がっていると思っているが、まったくそんなことはない。もちろん痛いのは嫌ではあるが、この男は自分が認めた男にしかそういうことをしない。正直言って他の者は眼中にない。

 だから「自分は霧島隊長に優しくしてもらってます」なんて聞くといけない気持ちになる。そのことにみんな気づいているのかいないのか、少なくとも俺は殴られることに関しては1ミリのヘイトはないし、むしろ正直に言うと心から尊敬している男の一人だ。一切の忖度なく。ただだからといって愛の鞭とは思わない。なぜなら、なにも悪いことをしていないのだから。

 昼食のそばをそそくさとたいらげ、俺と石田はすぐに食器を引き揚げる。いつもなら食べ終わった後に少しテレビを見ながら談笑するが今日はそんな訳にはいかない。仲宗根に、

「あとは頼むわ。」

と、本来であれば石田がやるべき雑用を依頼する。仲宗根を含めみんな俺達の動きに笑っている。歯磨きもそこそこにタバコを吸いに行く。

 今日は「ゆったりなにもしない」なんて言ってられない。タバコを吸いながら、編み上げ靴にシューズオイルを塗る。吸い終わっても終わるはずもなく、そこから磨き作業に取り掛かる。ピカピカに仕上げる。自分の顔が映るほどに。隣で石田も同じことをする。

 靴磨きが終わると、車庫を手早く片付け、消防車を軽く拭いたら、装備ロッカーを整理する。活動服を整え、ベルトを思いっきり閉める。編み上げ靴を履いたら、紐をきつく縛る。

 同じ作業を石田も繰り返す。最後に二人で服装点検をして、13時には車庫の前でうろつく。

 そんな姿を他のみんなはクスクスと見ていた。

「イシ、訓練棟の二階に行って来い。」

とだけ言ったが、それだけで意味が伝わる。物見櫓だ。

 しばらく待っていると、

「敵襲!」

と、言って駆け降りてきた。二人は消防車の前で列を正し並ぶ。大きなはしご車が見えてきた。そのはしご車は敷島出張所の敷地内に入るとゆっくりと走り、ゆったりと停車した。

 プシューというドアステップが開放する音が聞こえ助手席から長身の男が降りてくるのが見えた。消防車の影から顔を見せるか否かのタイミングを見計らって、

「おざーす!」

大声で挨拶をする。ゆっくりたっぷりと時間をかけて近寄ってくる。大きく振りかぶってバシンッと、一発。

「おざーす、じゃねーんだよ!おはようございます、だろうが!」

今日はそこだった。まあこれが「おはようございます」と言ってたとしたら、なにか他のものを見つけるだけの話だ。もはや寸劇である。

 ここまでのコメディを完成させたら。あとはわりと普通に話をする。

 ここまで厳粛にやるのは、失われた「訓練の感覚」を呼び起こすための一つの儀式である。

「今日はわざわざ私のためにはしご車の訓練をご用意いただいてありがとうございます。」

「わりと普通に」とはいえ、それでもここまで堅苦しい口調になる。

「おう。しっかりやれや。」

「はい、ありがとうございます。では数時間はしご車をお借りします。」

「壊すなよ。壊したらわかってんだろうな。」

そう言って、まだ壊していないにも関わらず、バシンッと二発目を食らわして、それが訓練開始の合図になった。みんなは相変わらずこのやりとりを笑いながら見守っている。

「石田くん、なかなかはしご車に触れることもないから、わからないことがあったら、ムラかうちの大林になんでも聞いてくれ。」

石田には丁寧な挨拶をする。

「はい!ありがとうございます!」

敬愛する先輩が恐れるその先輩を前に、まるでプロ野球選手を見るかのような目をしていた。

 「ご無沙汰しています。」

一連のやりとりを笑って見ているなかに大林という小柄な中年男がいる。中年といっても見た目は若く、大袈裟にいえば俺と変わらないくらいに見えるだろう。

「久しぶりだね、ムラ。今日は二発だったね。」

笑いながら答えた。彼は清水出張所はしご隊の機関員であり、不動のはしご車専属機関員という風格を漂わせるが、背の高いはしご車とは反対に、この男は背が低い。

 はしご車の知識と操作技術であれば署内で右に出るものはいないだろう。しかし大林は謙虚な性格でそんなそぶりを一つも見せない。優しく温厚な性格で、話しかけてくるときはいつも笑顔で話しかけてくる。

「まだ、二発ですよ。まだ!」

と、念を押した。

「訓練、よろしくお願いします。」

 はしご隊には他に二人の後輩がおり、軽く挨拶を交わした。

 訓練は、石田へのはしご車の概要説明から始まり、はしご車を動かす準備である設定訓練、実際にはしご車のはしごを動かす基本操作訓練、訓練棟を建物に見立てて接近させていく架梯訓練、要救助者の救出までを想定した実戦想定訓練という順番で流れていく。

 はしご車の機関員の資格を持っている俺にとっては復習訓練であるが、石田にとってはほぼ初めてはしご車に触れるものとなった。途中、休憩をはさみ、最後の実戦想定訓練が終わると例に倣って鈴木署長がジュース代をくれた。

「キリ、ありがとな。わざわざ来てくれて。」

「いやいや、いいんだよ。ムラの下手くそな操作がこれ以上下手になったら困るからな。」

この二人は同期である。救助隊長をやっていた頃も反対番同士で勤めていた。当時、「仏の鈴木」と「鬼の霧島」などとよく揶揄されていた。

 ジュースを飲みながら、小さな講習会が開催された。両隊長以外の5人で意見交換会のような形になった。今日の訓練のフィードバック、訓練と現場活動の相違点、現場活動における支援方法の確認、救出活動時の協力体制の確立などについて大林機関員を中心に話し合われた。

 実際はこれが一番重要だ。操作訓練などなんとなく触っていればそのうちできるようになる。そんなものより話し合いの方がよっぽど重要だ。これがあるだけで、現場で清水小隊の考えが予めるようになり、それは自分の隊の動きに大きく影響する。

 収穫はたくさんあった。石田も満足そうな顔を浮かべつつも一気に新しいことを詰め込まれて少し疲れた様子だ。

「今日はありがとうございました。とても勉強になりました。では、現場でお会いしましょう。」

「いや、いーよ。火事あっても君は来なくていいから。邪魔しないで。うちは優秀な隊員しかいないんだから。」

そんなことを言ってみんなを笑わせる。ここまではっきりと言われていると、もうなにも傷つかない。というより、実際は現場でよく俺を捕まえる。捕まえては隊を超えて指示してくる。それが心地よかった。

 帰り際、はしご車の助手席に乗っている霧島隊長の姿は、隣に乗る大林機関員のおかげでより一層大きくみえた。はしご車を見送りながら、石田が呟くように言った。

「いいな。俺も殴られたいな。」

その目は冗談や茶化しではなく、本気で焦がれている目だった。

 一ヶ月前のはしご車の訓練から、ますます石田のやる気が増していき、段々と着眼点も変わってきた。以前はシンプルに資機材の使い方や活用方法に対する興味が強かったように感じられたが、今では、資機材の構造や救出方法のメカニズムについて興味を持っているようである。この変化はとても重要で、これが消防隊員としての分岐点になる。ただただ言われたことをやるのと、考えて動くのとの大きな違いになる。

 それでも消防職員に求められるのは、その先であって、自分で考えた上で自ら判断するのではなく、それを現場で活用するには部隊行動を尊重できなければならない。

 消防署に限らず、どこの職場でもそうかもしれないが、「最近の若者は・・・」という言葉をよく耳にする。それを聞くとなんだか寂しい気持ちになると思いつつも少し腹立たしい気持ちになったりもする。正直、「では前世代はどれだけすごかったんだ」という風に思ったりする。かくいう自分もいわゆる「ゆとり世代」の真っ只中に育ち、よく言われてきた。ただ、こちらから言わせてみればゆとり世代はゆとり世代で大変だった。学生時代に野球部に所属していたから、土曜日に学校がなくなったことは痛手であった。なぜなら土曜日に学校がないということは一日中部活があるということだ。ゆえに授業があったほうが楽なのだ。だから一元的に物事をみてはいけない。それが個人的な意見だった。

 ただそれでも、「最近の若者は・・・」に対して同調する部分もある。

「今日は雨だから、こないだお達しが来たパワハラ対策なんちゃらの講義をやろっか。」

梅雨時期でしばらく雨が続いていた。何日かはぼーっと過ごしたが、さすがにやることもなくなってきて、渋々億劫な業務に手を出そうと、渡部隊長が提案してきた。

「そんな講義、誰がやるんすか?」

江尻が戯けて聞く。

「おい失礼だな!俺がやってもいいんだが、ここは・・・村下士長にやってもらおうか!」

(おい。)

目を細めて黙った。

「じゃあそういうわけで、午前中にやっちゃおうか!」

講義とはいえ分厚い書類の読み合わせである。

誰がやってもいい。読むだけだから誰でもできる。

 会議室に机を広げ、対面で俺が前に立つ。

「ではー、始めまーす。」

「おーい、やる気出せよー。ブー、ブー。」

(自分もやる気ないくせに。)

そう思ったが、

「はい、では始めます!えー、みなさん3ページをご覧ください・・・。」

 そういってだらだらと読み始めた。俺がひたすらに読んでいるだけだとつまらなさが増すので、ときには誰かに読んでもらったりしながら進めた。

 三分の一ほど読み終わったところで区切りをつけ、休憩に入った。渡部隊長からジュース代をもらい、みんなでジュースを飲みながら談笑が始まった。

「どうしてまた急にこんな講義やれなんて来たんですかね。」

仲宗根が不思議に思っていると、

「半年前のパワハラの一件だろ。」

渡部隊長が言った。おそらくそうだ。

 半年前、他の出張所でなにかパワハラまがいのことがあったようだ。こういう事柄に関して本部はあまり公表しないので、詳しくは知らない。それでも探るゴシップ好きはいるが、俺は全く興味がなかった。どんなに探ったところで、当事者にはなれないから、どちらの気持ちも理解することはできない。そう思っている。

 しかし、なかには本当にいじめのようなことをする連中もいる。その線引きが難しいからシビアな問題になってしまっている。

 かくいう江尻もかつてはその被害者であり、俺と一緒になる前は、その問題にひどく悩んでいた。一緒になってから最初の頃は大袈裟にいうと病んでいた。許せなかった。自分になにができるかはわからなかったが、とにかく救ってあげたいと思っていた。自信も自尊心も砕かれた状態だった。とにかく力をつけさせることしかできなかった。厳しくも激しくも強く強く鍛えた。少しでも技術を磨かせ、知識をつけさせた。周りから見れば元救助隊員が高圧的に押し付けてるように見えただろうし、実際にそう揶揄されていたところもあったが、それでもよかった。それでも少しでも彼の力になって自信をつけさせてあげられたらと思っていた。そのことに本人がどう思っていたかはわからなかったし、話したことはないが、少なくとも笑顔が増えたのは事実だった。

 だからパワハラということに関して、とても嫌悪感を抱いている。本来なら真剣にこの講義に望むべきなのだが、どうしても気が進まない。本質が違っているように思えた。もちろんこの講義の企画者の立場から見れば、少しでもなにか訴えることに重要性があることもわかっているし、そうした人たちの不断の努力は尊重する。しかし、やはり本質はそこではなく、なんとも言葉にできない感情を抱いていた。そんなもどかしさから、不干渉という選択肢をとってしまっている。

 石田がボソッと、

「パワハラって、どうなるとパワハラなんですか?」

この純粋無垢な若者の質問に、みんな一様に困ったような顔をしている。

「んー、暴力?」

と、武林が安易に答える。

「殴るとパワハラなんですか?」

全員が霧島隊長と自分の関係を想像して笑っている。

「そうですよね?それだと霧島隊長もパワハラになっちゃいますよ。でもムラさんはそんなこと思ってない。じゃあなんなんですかね?」

「そうだなー・・・」

と年長の渡部隊長が言葉に詰まる。割り込んで俺が答えたが、わざと少しわかりづらいような表現をした。

「俺はさ、ヘイトだと思うよ。」

それが俺には精一杯だった。それでも的確ではないだうか。

「殴る蹴るとかじゃなくて、怒るとか罵るとかじゃなくて、ヘイトだと思う。うまく言えないけど、もちろん人間だから好き嫌いはあるけど、その感情をどうするかだと思う。特に上席者がね。そのヘイトと権力をまずい方向に掛け合わせるとパワハラになるんじゃない?」

そんなに語るつもりもなかったが、なんとなくすらすらと出てきてしまった。ふと、みんなの表情を見ると、驚いた顔をしている。

(ヤベッ、喋り過ぎた。)

急に恥ずかしくなって。

「わかんないけどさ。」

と、誤魔化したがもう遅い。

「え、そういうことか。」

石田は真剣に納得という表情をしているが、渡部隊長は笑っていた。

「なんだ、真剣に考えてんじゃん。」

「違いますよ。なんとなく、なんとなくそんな気がしただけです。」

「いやいや、いいじゃんか。悪いことじゃないよ。確かにムラの言うとおりだよ。単に嫌いなんだよ。だからいじめちゃう。でもそれが学校とかじゃなくて職場だとその境界線も難しい。目に見えないことが多いからね。だから代表的な暴力に注目されがちだけど、本当は言葉の暴力や態度みたいな見えないものの方が問題だよな。なんだよ、ちゃんと考えてるじゃんかよ!よっ講師!」

と、茶化してきたけどもう諦めている。

「嫌いなんですよ。大っ嫌いなんです。ヘイトが。」

少し一瞬冷めた空気を感じたが、ここまで言ってしまったのだからもういいやと思っていた。

「そうだな。ここでは絶対にそんなことが無いようにしような。それからそんな状況をみたら弱いものに寄り添えるような人間になろうな。」

渡部救急隊長が締めくくった。

「・・・もう講義は・・・いいんじゃないですか?十分この会話の方が身になりましたよ。」

武林が漏らしたが、本当にそのとおりだと思った。堅苦しい分厚い資料を読むより、この方がよっぽど重要だと思った。こういう話を笑いながらできる関係性の構築が何よりも重要で、本質を見るだけでなんでも解決するとは思わないが、それでもわずかに見えた言葉にできない感情を訴えていくことが、ヘイト絶滅への唯一の近道なような気がした。きっとこの資料を作ってくれた人も理解してくれると思う。そのきっかけになったのだから。

著者

著者:Shikishima
Twitter→𝙎𝙝𝙞𝙠𝙞𝙨𝙝𝙞𝙢𝙖/小説家にいつかなる消防士
小説→敷島出張所消防隊カクヨムで続きを連載中!

【プロフィール】
・著者:Shikishima
・年齢:29歳
・経歴:消防歴10年
 消防隊→特別救助隊→はしご隊
・消防署が笑いと涙の物語で溢れていることを伝えたい。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です