【災害】明治三陸沖地震津波から学ぶ津波対策
お疲れ様です
よろずです(`・ω・´)b
今回は2万2千人の犠牲者を出した明治三陸沖津波地震を紹介します。
なぜ多くの犠牲者が出てしまったのかを教訓としていきましょう!
忙しい人のための要点
過去の災害から教訓を得よう!
登場人物
・一ノ瀬司令補
・元救助隊
・怪我で除隊し現在は警防隊
・八神消防士の教育係
・八神優子消防士
・警防隊2年目
・人員が足らないので救助工作車にのることも
・やる気と元気はある!
明治三陸沖地震津波とは?
あっ地震だ!
あんまり揺れないし大丈夫かな?
そこまでの揺れではなかったけど一応署の点検を回ろう!
ところで八神さんは明治三陸沖地震津波って知ってる?
(また始まったぞ)
知りません!
地震津波っていうくらいだから東日本大震災のような大きな地震から大きな津波がきたのでしょうか?
概ねあってるよ!
一つ違うのはこの地震は震度2から3だった
しかし、死者が2万人を超える大きな被害がおきたんだ
え?!
なんでそんなことに?
それじゃあ学んで行こう!
明治三陸沖地震津波とは明治29年(1896)年、6月15日に午後8時、三陸沖(岩手県周辺)で起きた災害です。
特徴として最大震度は4、平均として2程度の揺れでしたが最大津波高さ38mを超える津波が発生しました。
死者は2万1千人を超え、家屋も1万戸以上の損害が発生しています。
この犠牲者が多く出た原因を知ることで今後の災害対応の参考になると考え紹介します。
死者が多くなった原因
それにしてもなぜ死者数が多くなったのでしょうか?
要因は大きく3つだと私は分析しているよ!
①震度が2から3と低かったために油断した
②前回の地震からの教訓
③リアス式海岸とタイミング
あとは当時は行方不明者は死者とカウントしたからと言われている。
油断はなんとなくわかります!
地震多いですもん
そうだな!
それでも私たちの職業は災害に対して一定の危機感は持っていたほうが良いよ!
わかりました!
では一つ一つ要因を細かく見ていこう!
①油断
まずは油断!
震度が2程度と弱かったために誰も津波が来るとは思わなかったんだ。
それに日清戦争に従事ていた兵士を迎え入れたり、端午の節句ということもあって気も緩んでいたと思う。
正直この震度では私も津波が来るとは思いません!
察知するのは難しいと思います。
そうだな!
私もそう思うよ!
しかし、警戒心を持つことは必要かもしれない。
すぐに津波が来るわけではないから察知できれば逃げられるかもしれない。
この明治三陸沖地震も第一波が来るまでに30分時間があったようだ。
市民を守る私たちは警戒心を忘れてはいけませんね!
明治三陸沖地震津波の被害が拡大した要因は大きな地震から大きな津波が来るという経験則です。
しかし、この地震津波は岸から離れたところで発生していたために揺れが低くなりました。
実際のマグニチュードは8.5と言われています。
(東日本大震災のマグニチュードは9.0)
②前回の地震からの教訓
次に前回の地震の教訓があげられる。
さっき津波が来るまで30分の時間があったと言ったね。
30分あれば多少なりとも逃げるとは思わないかい?
確かに…。
津波が刻々と迫ってくるのを目のあたりにしたら逃げますね…。
そうだろう!
私たちのような公安職が逃げるわけには行かないが一般的には逃げると思う。
しかし、逃げなかった。
なぜだと思う?
うーん
やはり油断でしょうか?
正解!
実はこの津波が起きる41年前に起きた津波の教訓が犠牲者を増やした。
41年前の地震津波は緩やかに陸に迫ってきた。
そして2階にいた多くのひとは助かったんだ!
そうだったんですね!
まさか、今回の津波もそうだと思ってしまったということですか?
その通りだ!
41年後の津波は急で激しく人もの関係なく破壊していった。
前回の津波のように緩やかで2階にいれば助かると思っていた人はほぼ亡くなってしまった。
異変に気付いて逃げたときには一歩遅く流されてしまった人も大勢いたようだ。
そんな…。
災害は生き物だ。
常に最悪の想定で動かなくてはいけない。
はい!!
津波の様子として
・引き潮で海底の大きな岩が見えた。
・轟然と大砲のような音が聞こえた。
・まもなく大きな津波があらゆるものを飲み込んでいった
というように記録されているようです。
③リアス式海岸とタイミング
リアス式海岸は知っているかい?
えーとお魚がたくさん取れる場所でしたっけ?!
まあ間違いではない!
川から栄養分豊富な水が流れ込み養殖や漁業が盛んだ!
しかし、特徴的な地形により津波が発生すると波が増幅され被害が大きくなる。
なので昔から津波の被害が多い地域ともいえるだろう。
さらに明治三陸沖地震津波はタイミングが悪く満潮時に発生したために被害は増大したようだ。
無論、防波堤などで現在は対策しているが東日本大震災の津波では乗り越えて襲ってきたようだ。
そうだったんですね。
せめて満潮時でなければ…。
こればかりは運が悪かったとしか言えない。
リアス式海岸と津波の関係を図で表すと?
震度からの油断と地形、タイミングが重なって大きな被害になったことがわかります。
津波から助かるためには?
助かるためにはどのような行動をすべきでしょうか?
助かるためには以下の行動が重要だと考える!
①地震が発生したら津波を警戒する
②できるだけ高台へ避難する
③避難したらしばらくは戻らない
詳しく見ていこう!
はい!!
①地震が発生したら津波を警戒する
1986年から技術は進歩した。
気象庁では今では3分以内に津波の高さを発表するようになっている。
おお!!
それだけ早ければ避難の判断も素早くできますね!
そうだな!
しかし、1~3mなら大丈夫という誤解が生まれている。
1mの津波でも人は流され動けなくなる。
これは私たちが公報していく必要があるよな!
油断大敵ですね!
消防訓練の時に話そうかな~!
よいと思うぞ!
これが参考資料だ!
地震の予測は難しいです。
しかし、津波の予測は早く正確にできるようになってきています。
地震が発生したら津波の情報を得るようにしましょう!
②できるだけ高台へ避難する
高台は思いつきますがどのような場所が良いのでしょうか?
RC造(鉄筋コンクリート造)や山とかかな
そうだな!
ただ、過去に30mを超えた津波があることを踏まえるとできるだけ高い場所へ逃げたほうがいい。
遠くに行くのではなく高い所へ逃げる。
津波に対して横方向(水平方向)へ避難すると高台へ逃げられるという教訓があるようだ。
これは河川などの鉄砲水でも同じだ。
いつまでも追っかけられることになるからな!
なるほど!
そういえば津波の看板を見たことがあります!
普段から逃げる場所は確認しておこう!
あと川からも逆流してくるから絶対に近寄るんじゃないぞ!
鉄筋コンクリート造だから大丈夫ということはありません。
できるだけ高い所へ避難しましょう!
例えばビルなどに避難できたとしても救援物資がない、少ない。
避難や救助が困難になる可能性もあります。
普段から避難場所を家族と決めておくとよいでしょう!
③避難したらしばらくは戻らない
逃げたら戻ってはいけない!
津波は第一波、第二波とくるからだ!
第一波よりも高くなることが多く収まったと思い被災地へ戻ってしまい亡くなった方も多くいる。
聞いたことあります!
元気な姿で再開するためにも戻るのはぐっと我慢だ!
津波警報が解除されるまでは近寄ってはいけないぞ!
津波は一回目が弱くとも長い時間を掛けて力を蓄える場合があります。
津波警報、注意報が解除されるまでは絶対に戻らないようにしてください。
まとめ
今回の教訓のまとめだ!
まとめ
・地震で揺れなくとも大きな津波が来る場合がある!
・津波警報注意報を確認し速やかに高台へ避難する!
・警報注意報が解除されるまでは安全な所へ避難し戻らない!
今回もご指導ありがとうございました!
参考資料・サイト
・災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成17年3月
1896 明治三陸地震津波